ハナコログ

覚書onインターネット

今日の娘と私。

友達夫婦とその息子くん(娘より半年くらい年上くん)と遊びに行った。

川辺のコスモス見たり、公園の遊具で遊んだり、原っぱで走ったり。

 

でね、2歳過ぎのその息子くんと娘の性格の違いだか発達の違いだかがすごく見えた。

 

私は2歳前後の子が両手両親に繋がれて大人しく歩いて「お花きれい」なんて言うって想像できなかった。娘育ててて。

息子くんは今の私は考えれない、でもかつての私が思い描いていた「なごやかな親子像」の中の2歳児だった。

一方、娘は手を持てば「その手を離せ、自由にさせろ」と言わんばかりに振り解く(なんなら、もう片方の手で跳ね除ける)し、お花こっちだよとか言ったところで、そっぽむいて川に走っていったかと思えば、突然しゃがんで手前の土くれを握っているし。

 

でも、そんな娘が。

もしかしたらなにかの遅れかもしれない、なんなら欠落かもしれない結果である可能性のあるところのその行動が。

その娘の在り様が。

 

とてもいいなと、素敵だなかわいいなと思えたのだ。

 

「私ここに行くの!」「私これしたいの!」

それをそのまま訴える姿がなんなら羨ましいほどに良いなと思って。

 

もしかしたら数年後の私はそんなこと思えないかもしれないけれど、それでも今日、今日私はそんな自由な娘を見て、本当に愛しいとそう思った。

そしてそんな自分がなにより嬉しかった。

 

あぁ、私はありのままの娘を今愛せているなと実感できてよかった。

 

未来の私。

いまあなたがどんな状況かわからないけれど、こんな日もあったよ。

今日この日の写真を見てみてね。

思い出せたら幸せだと思う。

もしも辛くなったらごめん。

でも、今日そう思えたのが嬉しいことは事実だから書いたよ。

 

娘と一緒に、今日の私の知らない自分が、どうか幸せでありますように。