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しばらく待機

今の居住地にもしばらく住むことになった。

決定事項ではないけれど、可能性がかなり高い。

以前もどこかで書いたかもしれないけれど、ここは産後の娘の疾病のために

やむなく来た仮住まいだと思っていた。

仮住まいの想定を超える期間ここに住みそうだ。

娘や夫のことを考えると、ここに住むことがメリットが大きいのは事実。

 

しかしながら、私はどうしてもここを去りたかったらしい。

 

自分でも「そこまでかー。。。」と思う程度に強く。

 

どうしてもいつか憧れのかの地へ行きたいと思う。

 

私のいたい場所に帰りたい。

備忘録

手元にノートがないので。

 

少し体が改善してきたのかもしれない。

明け方5時に、以前ならもう少し寝るためにとお酒を飲んだりしたかもしれない。

それどう考えてもしんどい選択なのにやってた時期があるけどら今はそんなことはない。

明け方眠れなくても、自分で他の方法でやり過ごそうと思えてる。

 

今日に限っての話かもしれないからこの先はわからないけども。

 

心療内科の先生のカウンセリング手腕のおかげかとも思うし、そもそも週に一回、きちんと聞く耳を持ってくれる人に心の内を話していたことそのものもよかったのかもしれないと思う。

誰かに話すことが私にとっては大事なんだよな。きっと。

前々から思ってはいたけれど、それができないときっと私の場合は体に良くない。

 

大丈夫かなぁ、この先。

もし話し相手がいなくても大丈夫なように、いろいろ対策を練りたい。

何か対策があるのだろうか。

今日の娘と私。

友達夫婦とその息子くん(娘より半年くらい年上くん)と遊びに行った。

川辺のコスモス見たり、公園の遊具で遊んだり、原っぱで走ったり。

 

でね、2歳過ぎのその息子くんと娘の性格の違いだか発達の違いだかがすごく見えた。

 

私は2歳前後の子が両手両親に繋がれて大人しく歩いて「お花きれい」なんて言うって想像できなかった。娘育ててて。

息子くんは今の私は考えれない、でもかつての私が思い描いていた「なごやかな親子像」の中の2歳児だった。

一方、娘は手を持てば「その手を離せ、自由にさせろ」と言わんばかりに振り解く(なんなら、もう片方の手で跳ね除ける)し、お花こっちだよとか言ったところで、そっぽむいて川に走っていったかと思えば、突然しゃがんで手前の土くれを握っているし。

 

でも、そんな娘が。

もしかしたらなにかの遅れかもしれない、なんなら欠落かもしれない結果である可能性のあるところのその行動が。

その娘の在り様が。

 

とてもいいなと、素敵だなかわいいなと思えたのだ。

 

「私ここに行くの!」「私これしたいの!」

それをそのまま訴える姿がなんなら羨ましいほどに良いなと思って。

 

もしかしたら数年後の私はそんなこと思えないかもしれないけれど、それでも今日、今日私はそんな自由な娘を見て、本当に愛しいとそう思った。

そしてそんな自分がなにより嬉しかった。

 

あぁ、私はありのままの娘を今愛せているなと実感できてよかった。

 

未来の私。

いまあなたがどんな状況かわからないけれど、こんな日もあったよ。

今日この日の写真を見てみてね。

思い出せたら幸せだと思う。

もしも辛くなったらごめん。

でも、今日そう思えたのが嬉しいことは事実だから書いたよ。

 

娘と一緒に、今日の私の知らない自分が、どうか幸せでありますように。

胎児ネーム

というものが世の中にある、ということを知ったのは、多少の期間の妊活の末に子供を授かったと知ってから。

 

しかし私は当時、高齢初産対象に片足突っ込むくらいの年齢で、なんせ流産はそうでなくても1割の確率で起こりますなんていう。

出生前診断なるものが頭をかすめたり、各種リスクが跳ね上がるといわれる年齢。

 

きっと育つ。元気に育って生み育てる。

そう思ってはいるものの、なかなかどうして安心できない妊娠生活だったと思う。

 

いつからが安定期なの?

え?産むまで安定期なんてないと思え?

腸炎なっちゃったけど、中の人大丈夫なの!?

 

万事そんな感じでいろんなことを考えながら、でもなんだかんだ数ヶ月そこそこの期間、私は現在すぴーすぴーと寝息をたてているこの娘さんをお腹の中で育てながら生きていたわけで。

その間、「お腹の子」というのではなんとなく味気ないというか面白味にかけるというか。

 

だから、私(私たち夫婦)はお腹の中の人を「1号」と呼んでいた。

もし、この世で会うことが叶わなくても、そして次の人がお腹にやってきても、そのときは「1号」ちゃんへの敬意も込めて「2号」ちゃんと呼べば傷は少ない。

そんな自分の不安リスク回避からのことだった。

 

そして1号ちゃんは無事私のお腹ですくすく育ち、羊水なくとも自分で呼吸をし、ミルクで栄養を摂り、大きくなるべく生まれてきた。

 

なんとなく面白いというか、滑稽なのが、産んでからしばらくも、どうしても娘のことを「1号」と言ってしまうことだった。

名前は決めていたのに、なにかしっくりこない。特に、生後2日で病気のため別病院へ搬送され、日中に顔を合わせることが少なかったので、なかなか名前で呼ぶことがなじむまでに時間がかかったのを覚えている。

 

なんでかな。

今ではこんなに普通に呼べるのにな。

 

出産前後の、なんとなく記憶してたい、でも誰かに話すほどではない、当事者の記録。

私は母乳をあげていない

タイトルのとおりだ。

私は娘に母乳を与えたことがない。

文字通り、一滴も。

 

娘が出産直後に細菌性髄膜炎(G B S)に罹患し、NICUに緊急搬送され、早期治療着手により大事には至らなかったが、母乳からの再感染の可能性が捨てきれないということで、母乳育児をあきらめた。

 

最初は、娘のいない私だけが取り残された産院で搾乳に勤しんでいたのだけれど、結局全て破棄することになったし、2ヶ月近く退院後の母乳育児を目指して、母体単体で母乳の管理をしていたのだけれど、結局それも必要なくなり、出産後2ヶ月で私のおっぱいはその本来の役目を一度も果たすことなく、もとの「体の一部」に戻った。

当然生理もすぐに戻ってきた。

 

当時はあまり気にしてなかった。

だって、せっかく快方に向かう我が子に、自分のわがままで母乳を与えて、それが原因でまた苦しい思いをさせるなんて、そんなこと絶対嫌だったし、何の迷いもなく粉ミルクでの育児の道を選んだ。

それで、娘が無駄なリスクなく育つのであればと。

 

そして今、たまに少しだけ悲しいというか、やっぱり残念だったなというか。

完全に私のエゴなのだけど。

もっとなんか「お母さんにしかできないこと!」ってしたかったなぁと思う。

女性にしか与えられない特権の出産を経験したんだから、そこもやっときたかったよ。

娘と私の関係で、「唯一私にしかできないこと!」っていうの、ちょっと欲しかったな。

 

「粉ミルクなんだから、退院したらみんな育児の可能性についての立場は平等」って感じで、実母にも主人にも哺乳やらオムツの世話やらお風呂やらやってもらっておいて、そんなこというのもなんか、お門違いなのかもしれないけど。

 

自分のおっぱいを自分の産んだ小さな命がのんで育つ。その経験。その欠如。

 

とてもとても大事で貴重だった娘の生後2日目から102日間を、病気のために病院に娘を捕らわれていたことに対する恨みつらみのひとつ。

 

一歳児

一歳児という生き物がこんなにもかわいいということを、私は娘を産んで初めて知った。

新生児〜乳児〜幼児のなかでいえば、限りなく幼児よりの乳児くらいが、一歳7ヶ月の娘の相当期間だろうか。

 

新生児みたいに横抱きで、ふにゃふにゃとして表情が出るか出ないかとかではなくて、でも幼児みたいにおしゃべりして自分で身支度してとかそんなのできない、なんともその間。

進化の過程。

まだ喋らないけど、なんとなく主張したいことは態度で示せるようになって、なんとなくこっちの言いたいこともほんのり伝わってる。

なんせよく走る。

元気。

たくさん不機嫌になって大変だけど、笑えばそれはそれはかわいいし、思いもやらないおもしろ行動でこちらを斜め上の世界から見下ろしたりする。

 

今しかない。

いつだって、なんならアラフォーがリアルになるつつある私だってそうなのだけれど、この小さい人の今の尊さと言ったらものすごいと思うのだ。

大事にしたい。

気がついたら過ぎ去った夏が物語るように、本当に本当にあっという間なんだろうけど。

たくさんかわいいと言って、たくさん愛情を伝えてあげよう。

だって、本当にかわいくて、本当に愛しいから。今日も楽しかったね。

明日もたくさん笑おうね。

娘が話すことができたら

既往歴のある娘。

一歳半になり、そろそろ言葉が…と思うが、意味のある言語をまだ話してはくれない。

主治医も、私の心労を気遣う気持ちもあるのだろうが、心配ないと思うと言ってくれているのだけれど、どうしても焦ってしまう。

 

しかしこの娘、喃語についてはとてもおしゃべりであり、いつもなにかお話している。

それがすこぶるかわいい。

早く寝てよと思う寝かしつけのときも、なにやらテンションが上がったらしく(おいおい)フィーバーしながらきゃーきゃー言っていた。

 

この子が、もし「お母さん」と呼んでくれたら。すごくすごーく希望的観測なんだけど、まかり間違って「お母さん大好き」なんて言葉を発してくれた日には、私はきっと泣き崩れると思う。