ハナコログ

覚書onインターネット

胎児ネーム

というものが世の中にある、ということを知ったのは、多少の期間の妊活の末に子供を授かったと知ってから。

 

しかし私は当時、高齢初産対象に片足突っ込むくらいの年齢で、なんせ流産はそうでなくても1割の確率で起こりますなんていう。

出生前診断なるものが頭をかすめたり、各種リスクが跳ね上がるといわれる年齢。

 

きっと育つ。元気に育って生み育てる。

そう思ってはいるものの、なかなかどうして安心できない妊娠生活だったと思う。

 

いつからが安定期なの?

え?産むまで安定期なんてないと思え?

腸炎なっちゃったけど、中の人大丈夫なの!?

 

万事そんな感じでいろんなことを考えながら、でもなんだかんだ数ヶ月そこそこの期間、私は現在すぴーすぴーと寝息をたてているこの娘さんをお腹の中で育てながら生きていたわけで。

その間、「お腹の子」というのではなんとなく味気ないというか面白味にかけるというか。

 

だから、私(私たち夫婦)はお腹の中の人を「1号」と呼んでいた。

もし、この世で会うことが叶わなくても、そして次の人がお腹にやってきても、そのときは「1号」ちゃんへの敬意も込めて「2号」ちゃんと呼べば傷は少ない。

そんな自分の不安リスク回避からのことだった。

 

そして1号ちゃんは無事私のお腹ですくすく育ち、羊水なくとも自分で呼吸をし、ミルクで栄養を摂り、大きくなるべく生まれてきた。

 

なんとなく面白いというか、滑稽なのが、産んでからしばらくも、どうしても娘のことを「1号」と言ってしまうことだった。

名前は決めていたのに、なにかしっくりこない。特に、生後2日で病気のため別病院へ搬送され、日中に顔を合わせることが少なかったので、なかなか名前で呼ぶことがなじむまでに時間がかかったのを覚えている。

 

なんでかな。

今ではこんなに普通に呼べるのにな。

 

出産前後の、なんとなく記憶してたい、でも誰かに話すほどではない、当事者の記録。