創造的
母の言う「クリエイティブ」なこと。
ガジェット好きのアートデザイナーの言う「クリエイティブ」なこと。
私はどんな分野が好きだろう。
絵心はないし、字も上手くない。食べ物の好き嫌いもあるし、手先も不器用……
うーん、不得手でも好きなことや、できるよつになりたいことってなんだろうなぁ。
変化
お腹から1号(赤子)がおらんくなるのが寂しい。
おらんくなるわけやなくて、ただ外に出てきてくれるだけなんやけどなぁ、、、
ヨガやってて、キャットアンドカウのときにお腹がつっぱる感じとか、階段ふーふー言いながら登ったり、手すり持って一段ずつ慎重に降りる毎日が終わるんだなーと。
慣れてきた1号との生活。
仕事場にも一緒に行って、いつもついててくれる感じが嬉しかった。
出てきたら、ほんとに全く別の人間として一緒に生きてくんだねぇ。
それがね、なんだか寂しいんだお母さん。
わがままだねぇ。
でもずーっと一緒にいるわけにはいかないからね。
元気で出ておいでね。
待っとるよ。
人生これから
子どもが産まれたら、自分の時間が取れなくなる。もっとあれを勉強すればよかったとか、これをしとけばよかったとか、たくさんある。
でも、まだまだこれからだ。
遅いかもしれないけど、時間はこれからもあるから。
焦らなくていい。
少しずついろんなことを学んで、経験して、生きていこう。
胎動
右脇腹と左の肋骨付近に同時に胎動を感じることがある。
中の人は一体どんな体勢なんだろう。
今日も一日元気に動いてたね。
お母さんは、今日おばあちゃんの作った美味しいご飯をたくさん食べました。
楽しいことばかりではないかもしれないけど、でも生きてたらいいことたくさんある。
お母さんは食べ助で飲み助なので、美味しいものを食べてるととても幸せです。
高いものじゃなくても、炊きたてのごはんとお漬物だけでもとても幸せになれます。
大きくなったらいろんなものを食べようね。
アレルギーがあまりなかったらいいなと祈ってます。猫や犬もとてもかわいいから、触っても大丈夫な体で生まれてくるといいね。
出産まで
カウントダウンが始まりました。
あと2週間もすれば、あなたは私の体の外に出てくるんですね。
正直なところ、ここ最近は出産が怖くて、あなたに会うのが楽しみという感情はやや控えめでした。
出産の痛みや、その後の生活を考えると不安が大きかったのです。
でもね、2019年の夏、本当に本当に待ち望んだ命が、私のお腹に来てくれた。
どうか無事に育ってほしいと、毎日祈っていました。
思えば妊娠がわかったときからずっと不安でした。
とにかく、元気で、不自由なく生まれてきてほしい。
今ももちろんそう願っています。
きっと、あなたが生まれてからもずっとずっと不安なのでしょう。
どうか幸せに、どうかどうかなるべく不必要に傷付かずに生きてほしい。
そう思いながら、生きていくのだと思います。
いいお母さんじゃないかもしれない。仲良くできないかもしれない。
そうだったときはごめんね。
なるべく頑張るから。
お父さんや家族やみんなの力を借りて、最善を尽くせるようにするからね。
一昨年の日記にも、私は名指しで早くあなたに会いたいと綴っていました。
待ってるよ。
元気で会おうね。
ガジェットとは
ガジェット(gadget)とは一般に道具、装置、仕掛けのこと。(Wikipediaより)
なんだそうな。
先日、人生初のiPadを入手した。
子どもが生まれるので、写真付きの日記を手軽に書いたり、親に写真を大きなディスプレイで見せたりしたいと思ったことがきっかけ。
まったくの無知から、有志作成の比較サイトを参照しつつ、自分が購入するべきiPadを検討。すでにiPadを使用している家族の助言ももらい、量販店に在庫があった一世代前の無印iPadを現行時よりも安価で購入する運びとなった。
目標はとにかく「気負わずに使うこと」。
半端な完璧主義なのか、我ながらトライアンドエラーがすこぶる下手で、なかなかパソコンやiPhoneなど使いこなすことができない。
今回は、とにかく手ごろなiPadなので、がすがす使っていければと思う(あえて高級感のないチープな感じのケースも購入した)。
Youtubeでは猛者たちがさまざまなiPadテクニックを披露している。
絵も書かない、仕事で使うわけでもない私がどんな使い方をするのか。
ありのままに記録するのもいいのだと思うので、それはそれとして己を観察する気持ちで取り組もうと思う。
立場や役割
仕事でも家族間でも、立場と役割がある。
それによって自分に担えること、担えないことがある。
自分の理解してほしいことすべてをだれかひとりに押し付けることはできないし、逆もまた然り。
であれば、自分の対峙している相手にとって自分が何者であるのか、何を求めることができて、何をしなければならないのか。
なんというか、自分の立場的限界を自覚した気がする。それは悪い意味でなく、今後の自分のスタンスに関しての理由になり得る事実として受け入れることができそうだということ。
覚悟も必要ではあるけれど、もう必要以上の義務感もある意味必要ないということだ。
西加奈子さんの短編小説に「孫係」というのがある。「係」とはよく言ったものだと読んだときに思ったけれど、それを名実ともに体現していくというか。
うまくまとめられないし、いいようにばかりとらえてもいけないのだろうけど、とにかくひとつ腹をくくる何かを感じとれた気はする。
正解かどうかわからないけど。