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ハナコログ

覚書onインターネット

継続は力なり

最近のテンションの低さにほとほと嫌気がさしてきたので、徒然なるままに最近思うことを書いてみようと思う。

結婚している、安定した職業に就いている、などなど。

世間一般の視点から見れば、明らかに「幸せ」な生活であり、ディティールを考えると「もしや自分は勝ち組と言っても過言ではないのでは。」とも思う環境にいる。

のに。

なのに。

 

なぜ私からは「勝ち組感的なもの」が出ていないんだ!!!!

 

と最近よく思う。

なんでなんで!とぼやいていたら、同僚から至極まっとうな回答が返ってきた。

曰はく、「自分に自信がないからだよ。」と。

誰しもが学校生活の中で感じていた学生社会的階層に対し、「スクールカースト」という適格な言葉が見いだされた時代。その時代を、まさに当事者であるところの学生として過ごしてきた彼女にとって、それはあまりにも当たり前の回答らしかった。

 

思えば、「自分に自信を」という言葉そのものを久しぶりに感知した。

そんなことは、「なぜ自分は生きているのか」的に悩む混とんの10代を抜け、そこそこ現実的な悩みを抱え始める20代に考えることなのだから、30代に突入した今となっては「そんなのかわいらしいお嬢さんたちが必至になって考えるようなこと」だと斜に構えていた節がある。

すなわち、「自分に自信を」などという問題は、モテテク、ゆるふわ、フェミニンなんちゃら・・・そんな言葉が跋扈する華憐なファッション誌を、きらめくジェルネイルの指でめくっている人たちが抱える悩みであり、私が考えるべきは、ガチで治らない口内炎と増えてきたシミへの対策、あと降下を続ける記憶力・瞬発力を無理くり引っ張りながらいかに仕事や勉強の効率を上げるかなど、抽象的部分の一切ない、純度100%の現実問題にほかならないのだと。

 

しかし。

思えば、そこそこ苦労した20代を抜け、やっと己が目指していた安定を手に入れた今となってもなおこんなに勝ち組感がでないのはいかがなものか。

私は喉から手が出るほど欲していた生活を手にしてもまだ足らないということか。

 

ものごころついたときから私の夢は「主婦」だった。

小学生の時分には、母の読むおはよう奥さんを愛読し、将来はどんな家計簿をつけようかなどと夢想する子どもだった。

そうするものだと思っていたからできる範囲の高校へ進学し、可能な環境とそれを当たり前とする文化に身をおいていたから大馬鹿ではない程度の地方の私立大学へ入った。

学生の次はひとまず就職だと思っていたから就職した。自分を取り巻く友人たちのトレンドに反することなく、地元ではそこそこ有数の金融機関に入った。

彼氏もいた。

このまま、結婚して寿退社して子どもを産むんだ。

よし!そしたら英才教育を受けた家計簿の出番になるはずだ!

思えば、そのころの自分が一番自信を持って生きていた気がする。

 

実際私がその後歩んだのは、失恋と、厳しいノルマを苦にしたリタイアと、彼氏もおらず婚活もうまくいかない現実の中で過食に走り、太り、自己嫌悪に満ちながらもプライドばかりが先行する、親のすねをかじりながら生きる退化した日々だった。

そんなクズのような生活の中で、欲していたものはやっぱり「結婚」だった。

とにかく彼氏が、旦那さんが欲しかった。

実家を出たかった。

便利な場所で、自分を愛してくれる人と新しい家庭を築き生きていきたかった。

 

ありがたいことに、もがく中で良い友人たちに出会い、人の数倍の時間をかけながらも、なんとか再就職することができた。

 

至る、現在。

 

ではあらためて、ジェルネイルではないプチプラのネイルがはがれかけながら、ファッション誌ではなくはてなブログをカタカタやりながら、ここまできてなんでまだこんなにも自信がないのかを考えてみる。

 

そもそもほんとに自分に自信がないんだろうか。

最近はよく実家の父に褒められる(らしい。母伝聞。)。

それは、主に私の仕事に対する姿勢がよくできているというものからくるそうだ。

なるほど、私は最初の就職のときと比べ、今は積極的に仕事に関与しようとしているし、まじめに働かなければいけないという意識をもっている。

人間関係においても、友人が増えたし、聞き上手の称号をいただくこともある。

先日は「ねぇさんは、ものの言い方が上手い。」なんて褒めてももらった。

昔の自分にはなかったものと思われる。

なら、そのへんに関してはもう変に邪推したり慇懃な謙遜をしたりせず、「前よりできるようになった」と素直に思っていていいことにしようではないか。

なんとなく、このへんまではいい感じだ。

では次。

それでも払拭されない、この満たされない感は何?いやもうほんとまじで。

やっぱり女性性への自信のなさが根源なのか。

恋人がいない期間が長かった上に人生全般通して太り気味で必要なところにあるべき肉がないほんのり残念さの漂うボディ。

加えていざ勝負のときになってお披露目することになる、状況の芳しくない素肌。

「もてたことがない」という現実そのもの。

確かに、我ながらオーバー30の女性が自信をもつには厳しい条件が揃っている。

ついでに言うと、自分のことを女性的に評価してくれていた(すごい久しぶりに)男性が、君のような素敵な人は珍しいなどと言うその口でほかのメンヘラさんにもお声をかけ、なおかつ自分に対するよりも彼女に対しはるかにビップ待遇をほどこしていたことを知り、最近泣きを見たばかりだ。

自分がなぜこんなにもこの一連の事実にショックを受けるのかがわからない。

だって私は持ってるのに。

今まで欲し続けた「旦那さんとの家庭」を。

愛されてないわけではないし、評価されてないわけでもない。

私の枯渇の根源は一体何なんだ?

今私が欲しているものは何なんだ?

 

結婚してないときは結婚したいと思う。

結婚しても、そんなのみんなしてることで当たり前のことだと思う。

いいところに就職しても、そこにいる人たちはみな同じ職の人間。

もうほんとに勘弁してほしい。

身の程を知れよ自分。周りに感謝しろよ自分。

何を得たら満足するんだ。

どんな人と比べて羨んでるんだ。

 

自分の認める人からの評価が欲しいのか。

昔からそうだ。私は頭のいい人から特別扱いされることに悦を覚える。

自分も特別になった気がするからだ。

実際の自分は賢くないし、ミスが多い。

そうか、私は人に対して偉そうにしたいのか。

バカバカしいことだ。

「壊れ物には壊れ物の分(ぶ)があるんや」ジョゼと虎と魚たちの台詞。

「身の程をしれ身の程をしれ、空が高かろがえじゃないか。地面にゃちゃんと花もある」ぼのぼのに出てくるアライグマくんのお父さんの台詞。

 

どうすることが自分を認めてやることなんだろう。

どうしたら人と比較しなくて済むようになるんだろう。

誰それから褒められたいと、どうしたら思わなくて済むんだろう。

どうしたらいい?

努力?けどきっとその努力を認めてほしいと思うんじゃん。

ああ、苦しいなあ。

けど、継続することはきっと何かに役立つから勉強はしよう。

やり方は悪くても、効率悪くても、とにかく少しずつでも続ける。

そしたら何かの自信につながらないかなあ。

自分を作るのは自分なんだから。

そうだ、自分を作るのは人の評価なんかじゃないんだよ。

そして、私が目を向けるべきは人でも人の評価でも自分自身でもなく、やるべきことや身に付けるべき知識そのものなんだ。

目前のことを着実に身に付けた先にきっと自分があるんだ。

だからやろう。

やるべきだと思うこと。考えるべきだと思うこと。

ひとまずそれでいい。

それでいいはずだから。