ハナコログ

覚書onインターネット

母寺

全ての事象は必然だと考える。

だから、私たちはそれを受け入れるのみ。

ならば、同時に、ただ受け入れることの難しさに苦しむのもまた必然なのかもしれない。

受け入れ難さのために、もがくあがくしていると、ふと救われるものに出会うときがある。

なにが引き金になり救われるかはまるで予測がつかない。

だから、「全ては必然である」と受け入れることも大切だけど、「楽になりたい」ともがいたりあがいたりすることも、決して無駄じゃない。無駄じゃない。

救われることがあるから。

なににか、誰にかわからないけど、突然救われることがあるから。

生きてる

1ヶ月前、娘を出産した。

今私の手の中にはいない。

 

まさかの確率の重病を患い、入院している。

 

でも、そのまさかの中でも、必死でミルクを飲んでちゃんと生きて育ってる。

 

生きててくれてありがとう。

頑張ってミルク飲んで、大きくなってくれてありがとう。

 

一緒にいれないのは寂しいね。

でも、生きててくれて嬉しい。

本当に嬉しいよ。

 

ありがとう。

 

いつか一緒に過ごせる日を目指して、また一緒に頑張ろうね。

 

1ヶ月よく頑張ったね。

 

ありがとう。

本当にありがとう。

お腹

いよいよ最終形態妊婦。

お腹はパンパン。

あんたは夜型の子だねぇ、お母さん寝ようとするとぐりぐり動いてから。

靴下はまともに履けず、少し歩くと息が切れ、頻繁にお腹が張り、股の付け根が引っ張られるように痛む。

一心同体ももう少し。

創造的

母の言う「クリエイティブ」なこと。

ガジェット好きのアートデザイナーの言う「クリエイティブ」なこと。

 

私はどんな分野が好きだろう。

絵心はないし、字も上手くない。食べ物の好き嫌いもあるし、手先も不器用……

 

うーん、不得手でも好きなことや、できるよつになりたいことってなんだろうなぁ。

変化

お腹から1号(赤子)がおらんくなるのが寂しい。

おらんくなるわけやなくて、ただ外に出てきてくれるだけなんやけどなぁ、、、

 

ヨガやってて、キャットアンドカウのときにお腹がつっぱる感じとか、階段ふーふー言いながら登ったり、手すり持って一段ずつ慎重に降りる毎日が終わるんだなーと。

 

慣れてきた1号との生活。

仕事場にも一緒に行って、いつもついててくれる感じが嬉しかった。

 

出てきたら、ほんとに全く別の人間として一緒に生きてくんだねぇ。

それがね、なんだか寂しいんだお母さん。

わがままだねぇ。

でもずーっと一緒にいるわけにはいかないからね。

元気で出ておいでね。

待っとるよ。

人生これから

子どもが産まれたら、自分の時間が取れなくなる。もっとあれを勉強すればよかったとか、これをしとけばよかったとか、たくさんある。

 

でも、まだまだこれからだ。

遅いかもしれないけど、時間はこれからもあるから。

焦らなくていい。

少しずついろんなことを学んで、経験して、生きていこう。