ハナコログ

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三日坊主

昔、取引先だった個人学習塾の先生と話したことを思い出した。

 

こちらは営業をかけに行っていたのだけど、途中から、教育、勉強、学習といった彼女の本業の話を聞いていた。

 

その人は、私の思い描く「本当の学習」を知っている人だと思った。

 

「読み、書き、そろばんがとにかく大切。昔から言われていることは間違いない。本当にその3つが勉強の基本なんです。」

彼女はそのようなことを言っていた。

40代の女性であるところの彼女は、20代前半だった未熟な営業ウーマンである私への激励と、アドバイスをこめて話をしてくれていた。

 

そんな彼女が帰り際に言ってくれたこと。

 

三日坊主でもいいの。

でも、毎日やれなかったことを悔いて、そのままやめてしまわないで。

また始めればいいだけなんだから。

ただ、もう一回やってみればいいんです。」

 

7月はじめからやろうと決めていた課題を、ここ数日さぼっていた。

後ろめたさでどんどん遠ざかろうとしていた自らへの課題。

もう一度、向き合おう。

軽い気持ちで。

また三日坊主になったっていい。

そのあと、また始めればいいのだから。

勉強と筋トレ

勉強は筋トレと同じ。

さぼればさぼるだけ筋肉は衰えていく。

次に筋肉をつけるのがきつくなる。

ずっと放置してると、むしろリハビリが必要になる。

 

筋トレならやらなきゃまずいって、すぐ体感できるのに、

勉強だと実感しづらいからたちが悪い。

 

私の閾値はどこだろう。

まだまだ先が見えなくて不安だけど、

勉強はルームランナーに乗ってるのと似てるから

とにかく歩いてないとこけてしまう。

 

どこまでいけばいいか、どうなればいいか、

わけわかんないし、ただただ不安だけど、

足をとめるとこけてしまうんだ。

 

歩け、歩け、自分。

劇場の追記

朝一旦読み終わってから少しして、読み飛ばしていた残りの25%も全部読んだ。

 

また泣いた。

 

なんだかほんとにいろんなものが「愛しいのう・・」と思えるようになってしまっていて、炊飯器のスイッチ押すだけで涙が出てきたので、感受性のタガが外れるとたいそういたい人になってしまう。

 

それでも、なんというか、自分にとって本当に大切な人は誰なのかを再認識できてよかった。

自分の、自分が選ぶ、自分が大事だと感じる人が、自分の中に戻ってきたような感覚を取り戻すことができたので、又吉さんに感謝したいと思った。

 

一応「火花」も読んではいたのだけど、なんというかそのときは「ちゃんとした小説を書いてるな」と上から目線の感想を持っただけで、心に響くという感じではなかった。

別にそれは「火花」のせいじゃなくって、題材とか、なんというか、自分が「感情」以外に対してエネルギーをかける人間ではないので、よその話を読んでる気がしただけなんだと思う。

 

「劇場」は、優しい小説だなと思う。

小説ってすごいと久しぶりに思った。

感情が一皮剥けるというか、お風呂上りみたいにさっぱりしたというか、本当にいろいろとありがたかったし、とにかく感動した。

劇場

今日は有給なのに、金曜からとっていた休みの最終日で、明日からの仕事がいやでテンションが低かった。

旦那さんを送り出して、こんなときは感情を強引に動かす何かを読むのがいいかと、彼の本棚にあった「劇場」を読むことにした。

旦那さん曰はく、小説の起承転結の転にあたる部分で、うまくいっていた二人がすれ違ってしまうのが切なくて読み進められないとのことだったので、私もそんな悲しいものを読むのは気が引けて、敬遠していた本ではあった。

小説の真ん中あたりを飛ばして、全体の75%くらいを読んだ。

泣いた。

がんがん泣いた。

主人公も彼女も、お互いのことほんとに大好きやんか。

「一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。」

小説の帯だけを見て、最初

「会いたいのに会いに行かないなんてよくわからない。」

と思っていた。

私は、とにもかくにも自分の感情に対するこらえ性がなくて、会いたくなったらどうにかして会いに行くような人間だったから。

けれど、実際に劇場を読んでみて、なんというか、とにかくお互いにすごく大切だと思いあっている二人と、不器用を何重もコーティングして出てくる主人公の優しい言葉が琴線に触れまくって、朝から号泣だった。

感動してたくさん泣いてることを、旦那さんとか母親とかその辺の近しい人に話したくてたまらない自分に気づいて、

「もうすぐ32になるというのに、自分は幼稚園のときからマインドが変わってない。」

とちょっとへこんだけど。

 

旦那さんも優しい人だ。

私が理不尽に怒ることも、泣くこともたくさんある。

けど、とりあえず「どうしたんかね」と言って、私がどんなにむくれてもこっちを向いていてくれる。

これ以上優しい人はいないと思う。

私は狡猾で、傲慢で、卑怯で怠惰なのに。

大事にしなきゃなと思った。

ほんとに。

この人がいないと、私は本当に大変だろう。

仕事ばかりに一生懸命で、一生懸命っていってもなんだかんだ周り道ばかりで中途半端であせりるばかりで。

そんな毎日の中で、覚悟を決めて読んでみてよかった。

かたくなっていた自分の感性が、少し自分らしさを取り戻した瞬間だった。

「今年こそ」

今年こそ。

と書いて、「今年こそ」「明日こそ」なんていって成功した試しがないなと、いきなりネガティブになった。

今週なにやっただろう、来週はなにをしよう。

来年の今頃は何をやっていたい。

そう思いながら振り返り振り返り、一歩ずつ確認しながらやっていこうと思う。

 

そのために、必要なこと。

去年の反省。

モチベーション確保の方法。

体調管理(飲み過ぎない!)

 

上手いことやっていきたいなー。

頑張ろう。

振り返り

今の業務に携わるようになってもうすぐ1年が経つ。

この1年で、自分は何ができるようになっただろうか。

過去の先輩たちの偉業に目がくらくらして、とても自分に自信なんて持つことはできないけれど、自分のできるようになったことを自覚するのは、大切な気がする。

できるようになったことがはっきりすれば、まだ手付かずの課題もおのずと見えるようになってくると思うからだ。

謙遜とか、自信過剰とかではなく、ただ現実を冷静に受け止めること。

たとえ冷静さを欠けたとしても、進歩があることそのものを自分でほめてもいいはずだ。

今後自分がどのようになりたいか、何ができないから何をできるようになりたいのか。

しっかり見つめていきたい。

 

自分の不出来について

いろいろと言い訳がましいことを考えていた。

けれど、行き着くところは、自分の努力不足と実力不足だった。

たくさんの本や情報で見かけた、「自分の実力に気づくのが嫌だから」という理由でチャレンジしないことと同義だ。

何がしたい?

どうなりたい?

もっとしっかり考えないと。

そして、自分が思っているよりずっと私は努力しないといけない。

逃げずにもう少しだけ粘りたい。

それは資格を取ることに限らない。

自分が目指すレベルに到達するよう何かを必死にしたいだけだ。

 

仕事で自分が思うようなパフォーマンスをしたい。

 

これが、私が今腹をくくれる最優先事項ではなかろうか。

そのためになにをすべきか、もう一度考えるんだ。

長期スパンで考えよう。

背に腹は代えられない。

使えるものはすべて使ってしまおう。

 

勤勉であろう。