「勤勉は不運を負かす」
「勉強すればなれるよ。プロの法律家…じゃないけれど、プロの法実務家に。」
そう先輩は言った。
学ぼうという姿勢がなかったわけじゃない。
勤勉でこそなかったが、不真面目ではなかったはずだ。
高校のとき、本当の「頭の良い人間」を見た。
割とたくさん。
中には深い付き合いになった人間もいたが、あまりのクオリティの高さ、次元の違いに悔しささえ感じなかった。
彼、彼女たちに聞けばたいていの正解が返ってくる。
私は20歳を前にして、思考を止めていた。
そして32歳になろうという今。
どうしようもなく、1番になりたい。
自分がいる集団の中で、1番を取ってみたい。
振り返れば後悔しかない。学びに関しては。
だからもう前を向いて時間を掛けるしかないのだ。
「勤勉は不安を負かす」
いつか尊敬する人から教わった言葉、事実。
さぁ、不安を負かしに行こうじゃないか。
私にはもう、これから頑張るという選択肢しかないのだから。
マイカーゲット!
車を買った。
かつて実家にいたころは家族の車を使わせてもらっていたから、初めての自分の車だ。
学生時代はママチャリであちこち行っていたし、あえて車は必要ないかなと思ってたのだけれど、大きな荷物を運びたいときや郊外へ出かけたいときなど、車が欲しいと感じる局面は思いの外多かった。
満を持して!
中古だけど、嬉しい自分の車!
大好きな赤い色。
そうだった。
好きな音楽をかけながら、
口ずさみながら、
あてもなく川沿いなんかをふらふらとドライブするのはこんなにも楽しかったんだ。
車なんてどの道もたくさん走ってるし、ということはみんな当たり前のように所有しているものなんだけど、いざ自分が持つとなるとこんなにも嬉しいものなんだな。
たくさんの行きたいところがある。
見たいもの、食べたいもの。
これから行こう。
行きたいときに。
行きたいところへ。
かつて私を救ったもの
数年前に、私が欲しくても手に入らなかったような立場や恋人や友達が今は私の手の中にあって、だからもう昔のように頻繁にめそめそしたり、もがいたりしなくてよくなった。(もちろん生きている限り悩みはつきないから、ほかのことでめそめそくよくよはしょっちゅうだけども、それはまた別の話で)
けれど、たまに当時の私がすがるように読んでいた文章があって。
今でも読み返せば、本当に本当に暖かくて私にとってとても大切な文章だなと。
それをまた読むことで、昔の自分の気持ちや、辛いときに優しくされたり優しくしたりすることをの大きさを思い出すことができる。
ずっと大切にしていきたい。
あの日の私が救われたこと。
いつか伝える機会があればいいなとも思う。
「期待」
自分が凹むときの多くは、勝手な期待の暴走による。
よく言われることだけど、ほんとうに「期待」というのはやっかいなものだ。
誰にもいいことがないもの。
相手にも失礼だし、自分は苦しい。
なにより、期待が発動しているときの根元には、「自分への相対的評価」がある。
誰それと比べて、平均的には、多くの人は…
やめたいやめたいと思ってる。
けれど29年間生きてきてやめれた試しがない。
そういう自分を受け入れて、すこしでと楽になるような、あまり自分本位にならずに済むような、そんな上手な方法を探していきたい。