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継続は力なり①

私の母は、気が付けば何かを地道に続けている。

なかなか言うことを聞かない、かわいくも少しおバカなうちのわんこのごはん時。

毎日毎日「お手!おかわり!」と言って彼女(犬)の前脚を交互に握っていた。

およそ3年。

そんな彼女(犬)のお手とおかわりは、ただ前脚を交互に宙に浮かせるに過ぎないレベルとは言え、なんとなく形になってないと言えないこともない状態にまで進化した。

 

ほかにも、母は婦人雑誌のお正月特大号だけを購入し、その付録の家計簿をつけるようになってもう数年になる。

 

そんな母の娘なのに、続かない。

なんか知らんが続かない。

父親譲りだと言ってしまいたい。

 

ここにきて、やっと自分が「根性」のみで何かを継続することは不可能なのだと気が付いた。

なんせ「続いてない」という実績が、目の前にうず高く積みあがっている。

 

よく言われることに、「毎日歯を磨くのと同じくらいのこと」になるように、とかとにかく習慣づけをしろというものがあるが、「歯磨きレベル」そのものが高いハードルだと感じる程度にはめんどくさがりの自分には、さらに継続できる仕組みが必要なはずなのだ。

だから、ほんとうに「あとはただやるだけ」の状態を、目標に達するまでできるような「設定」を設けないといけない。

かのteruyastar氏も、やるべきことを極限まで細分化せよ的なことをおっしゃっていた気がするが、まじできっとそれなのだ。

モチベーションに左右されない環境、めんどくささが邪魔しない環境が必要である。

 

思えば私がかつて何かを一生懸命頑張り、それなりの成果をだしたことといえば、学生時代の部活動と、某資格①、某資格②くらいである。

そのときはなぜ頑張れたか。

 

1、さぼると怒る人がいる

2、人生的にせっぱつまってる

3、異性がらみ

 

そのどれかの理由があるときにしか頑張れていない。

自分の魂のレベルの低さが恨めしい。

 

しかしながらもう三十路も何年目。

そんな自分を嘆いてもはじまらないことくらいはわかっている。

 

さてそんな自分が「継続できる」ようになるためにいかにすべきか。

また元気な時に考えようと思う。(←すでに先送り)

 

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