生活を共に
私は内向的な人間だ。
職場での私のふるまいは、比較的外交的にしていると思うので、周りからはそうみられないことが多いと思う。
別に、何をするにもネガティブで悪い方向にばかり考えてしまうというのではない。
ただ、「とりあえずやってみよう!」とか、「きっと大丈夫だよ!」とか、そういう気持ちになったり、実際行動に起こすのに、自分を納得させる理屈付けがいちいち必要な人間なのだ。
理論的な人間なわけじゃない。
むしろ感情的で、いつも喜怒哀楽その他諸々の感情に極端に振れていることが多い。
けれど、だからこそ、何かをコンスタントに続けるには、理屈によって自分の感情をどうにかコントロールしてやる必要が出てきてしまうのだと思う。
最近、旦那さんのどういうところに救われるのか考えていた。
とうとう夫への愛情に関してすら理屈が必要になったかと一瞬嫌気がさしたけれど、
「愛は技術」とかの川崎貴子先生も極めてポジティブな意味でそうおっしゃっている。
私は思考という技術を使って、より深く、というより違った視点から夫を愛するポイントを探してるだけだし、直感以外に頼ることも悪くないと思うことにした。
旦那さんは優しい。
自分の持たないおおらかさがある。
それは私が長年求めてきたもので、短気で言葉ばかり強気でその実内向的な私にとってはこれ以上ないありがたい存在である。
しかしながらそれだけだろうか。
実家に帰ったおり、久しぶりに自室の本棚を除くと、中村うさぎ著の「私という病」を見つけた。
中村うさぎさんの本は、彼と知り合ってから読んだ本だ。
彼女は私が大切にしたいと思う「自分に対し、正直であろうとする。自分をいいようにとらえずに、どんな人間かをきちんと直視しようとする。」人だと思う。
そうだ、そんな人の本を私に紹介するような人が夫なんだ。
つまり、彼も行動するより先に、その理由を考える作業をやる人なんだ。
だから救われる。
だって、本来的に持っている感性とかみなぎる行動力とかで動く人だったら、私のこんなめんどくさい性格がよりめんどくささを増して自己嫌悪で死んでしまうもの。
お互い内向的で、いちいち考えないと動けない人間だから一緒にいることができるのかもしれない。
これはなかなか得難いことだ。
一緒に飲みに行ける人は数多あれど、一緒に生活できる人ってきっとそんなにいないと思うものな。
ありがとう旦那さん。
なるべく可愛げのある妻でいれるように頑張るよ。
できんかもしれんけど。
けどなるべくね。
ありがとう。