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大きな幸せ

「小さい幸せは積み重ねるものだよ。大きな不安で潰しちゃもったいない。」

と、母から言われたことがある。

娘の入院中、娘の将来が不安で不安で、日々生きてくれてることへの感謝はおいてきぼりだった。

無事元気に退院した今も、この子がちゃんと発達していくかはわからない。

それでも今日、すやすやと眠る娘と右手をつないで、主人と左手をつないで布団に横になって。

ちゃんと育つかわからないという不安になんて潰されようもないほどに、大きな幸せをもらった。

将来、今日この日に戻りたいと願うかもしれない。それほど、ほんとにほんとに今日が幸せだった。

この子が入院していたとき、妊娠中の希望に満ちていた日々よりも幸せなときなんて本当にくるのかと思っていた。

きたなー幸せ。

小さな娘が帰ってきたらあっという間に訪れた。

大きな幸せ。

元気に育ちんさいやー

娘の寝息が聞こえる。

こんな時間なのに、いつも病院にいて、こんなにちゃんと寝る子だなんて知らなかった。

 

なんてかわいいんだろう。

 

無事に帰ってきてくれてありがとう。

本当にありがとう。

 

どうかどうか、これからも無事でありますように。

母の魔法の言葉

「元気に育ちんさいやー」

嬉しい

娘が帰ってくる。

出産してから約3ヶ月半、やっと家に娘が帰ってくる。

とてもとても長くて、不安で、なんともいえない不幸感の真っ只中にいた。

まだこれから先も、彼女はちゃんと発育、発達していくかはわからない。

でも、私の横で泣いて、笑って、寝て、離れることなくいてくれる。

何も欲しくなかったな(iPhone11proは娘を撮影したくて買ったけど)。1番欲しいのは元気な娘であり、それがないのにほかのものなんていらないと割と本気で思ったことは忘れない気がする。

 

退院の日が家族の新しい誕生日だ。

どうして

高望みしたつもりはないんだけどなぁ。

 

普通に結婚して、普通に子供を育てて、普通に生きたい。

 

普通の含む意味は多いだろうけど、とにかく多くを望まないから。

母と2人で行ったあの旅館に、娘と3人で行くのが私の夢なんだ。

 

まるで私の人生ではない。

私の人生に起こったことだと思えない。

そんな思いをしている人が、この世に何人いるんだろう。

信じてるよ

娘ちゃん。

今日から新しいお薬使ってるって。

前使ってたのより効いたらいいね。

 

あなたがきつい思いをしないように。

早く元気になって、帰って来れますように。

 

みんなみんなそう願ってるよ。

あなたの生命力を信じてるよ。

絶対大丈夫だからね。

また一日ずつ、一緒に頑張ろうね。

元気に育ちんさいやー!

個体

娘が入院していて、手元にいない。

こんなはずでなかった出産後の生活を続け、退院の目処も健全な発育の確証も得られずに送る日々。

字面を追うだけで吐き気がする。

コロナの時世で1日数分に限られる面会の時間の中で、精一杯娘を愛でるためだけに体を維持しなければならない。

つまり、その数分のために己の健康管理として食事と睡眠を行う。

そのことのなんと不毛なことか。

したいのは娘の世話だけであり、ほかの何をしても楽しくない、時間が経つのがすこぶる遅い。

 

こんな思いをしてしまったがために、娘が退院しようものならどんなに娘べったりな母親になろうかと思っていた。

そもそも、母親になることをずっと夢見てきたのだ。しかも元来人一倍の心配性。

手元に娘が戻ってくれば、不完全なほど片時も離さず、常に娘のことばかり考える親になるに違いない。

あまり推奨されることではなかろうが、仕方ない。こんな境遇なのだから、そんな母親になる私を誰も咎めないだろう……

 

そう思っていたけれど、不安と寂しさに苛まれながら、自分と娘の境遇を嘆く日々は本当に言葉に言い表せないほどにしんどい。

もーほんっっとにしんどい。

 

そんなときふと「娘と私は別個のものだ」と「今」受け入れいてしまえばいいのではないかと思い至った。

「子どもを自分の所有物としてはいけない」と昔から思ってはいた。

思ってはいたが、毎日娘の容体を心配し、不安に苛まれるのは、母親として避けようのないことであり、むしろそうでない者は母親でないくらいに考えてはいないか。

どこかで、子供と自分を別個体と認識することこそ「子離れ」と考えていたから、それは娘が育ってあらかた大きくなってからのことだと思っていたのではないか。

 

そうじゃない。すでに娘は私のお腹から抜け出している1人の人間だ。

「娘と私は別個のものだ」と今のうちに受け入れよう。

私は私の人生を生きるし、娘は娘の人生を生きる。

事実そうやって彼女は彼女の道をもう生きている。

病と闘う人生を娘は生きていて、それを支えるべく丈夫であろうとする人生を私は生きるんだ。

私たちは「別の個体」なのだから。